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応援について

鬱病の人に頑張れと言ってはいけないと巷ではよく言われている。

私は鬱病ではないが、頑張れと応援されることにはどうも抵抗感がある。

一種の応援の形式として、悪意なく頑張れと言っているのは分かるのだが、私はもう十分に頑張ってはいるのだ。

頑張れというのは頑張っていない人に向けられた応援だと思う。

もしくはこれから頑張らないであろう人に向けられた応援だと思う。

もしくはもっと頑張れ、限界を超えて頑張れということなのかもしれない。

だから、私はまず、「頑張ってるの?」、「頑張れそう?」、「何%頑張ってるの?」と尋ねてもらいたい。

そして、「頑張ったね」、「頑張ってるね」というねぎらいの言葉、もしくは「○○%頑張れ!」という応援の方が私は素直に受け取れる。


大辞林 第三版より
おうえん【応援】
① 他人の手助けをすること。また,その人。 「友人の-を仰ぐ」 「地元候補を-する」
② (競技・試合などで)歌を歌ったり声をかけたりして味方のチーム・選手を元気づけること。 「母校のチームを-する」 「 -合戦」

物質的な援助が助かるのはよく分かる。精神的な応援が力になる人が世の中にはけっこう多い。逆にブーイングをもらうと障害になる人もけっこう多い。

スポーツの世界における声援は過去の成功に基づくもので、今後の成功を予感させるから力になるのだと思う。もしくは将来の物質的な援助が期待できるから気持ちが大きくなる。逆にブーイングは過去の失敗を咎めることで未来の失敗を予感させるから力を奪う。もしくは将来、物質的に足を引っ張られそうだから弱気になってしまう。

ブーイングの音が集中力を乱しているのだとしたら問題である。でも声援の音が集中力を乱すというのはあまり聞いたことがない。これは声援がうるさいと思っても、それを言ったら角が立つから言わないだけかもしれない。

それでは、見えないところで応援している誰か、もしくは見えないところで呪いをかけている誰かから私が影響を受けることはあるのだろうか。離れて暮らしている両親が私の成功を願っているとして、それ自体は物質的には何の援助にもならないけれども、その応援を力に感じるなら、それこそが神様なのではないかと思った。 そして親が死んだらお墓を立てて拝んだりする。神様とはご先祖様のことなのかもしれない。


ところで、少し前に『鈍感力』という本が流行ったが、他人のブーイングには耳を貸さないのが意外とうまく生きるコツであるということを最後に記しておきたい。つまり、これを言い換えると、自分自身を応援してあげましょう、自分自身にブーイングするのはやめましょうということに他ならないのである。

当ブログを訪れてくださったあなた。頑張ってますね。その調子です。
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政治的中立について

私は日本に生まれ、日本で育てられ、日本に住んでいる。

日本が好きな人は日本が良くなることを願うだろう。

日本が嫌いな人は日本が悪くなることを願うだろう。

私はやっぱり日本が好きで、日本に良くなって欲しいので選挙に足を運ぶ。

私あっての日本なので、日本のために命を捨てるようなまねは出来ないかもしれない。

でも日本に命を救ってもらっているという思いは持っている。

語り得ぬものについて

神や、死後の世界というものは存在するか、存在しないのか、証明することができない。

哲学においては、存在が確認できないものは語るべきではない。

それは宗教学において語られるべきである。

現実に存在が確認できるものと、現実に存在が確認できないものを、現実の世界の尺度で比較したところでしょうがないのである。

今後、他人の宗教を否定するような大人げないマネはやめようと思った。

ところで、他人の宗教を否定する宗教の多さには辟易とする。
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